ミャンマーについて

[国民性]
ミャンマーの国民性は高く、礼儀作法がしっかりしている。親切・我慢強い・穏やかな方が多いと言われる事が多いようです。NO!と言えない日本人という言葉がありますが、ミャンマー人とも共通しているようです。また、争いを嫌い相手を立てて皆で円滑に物事を進めようとし、自己主張も控え目かつ手先が器用で勤勉で真面目なためミャンマーへ現地法人を出す企業も多いようです。

 

しかし、日本人そっくりの親切で穏やかな気質のミャンマー人ですが「時間にルーズ」という点も併せて持ち合わせています。「ミャンマー時間」と言われる程に、約束の時間を守る事が出来ない人が多いので現地で暮らす日本人にはとても驚く瞬間ではないでしょうか。ミャンマー人は大変親日的でヤンゴンでは日本語を勉強している人が多く、日本語会話力もかなりのハイレベルです。ミャンマー人が行きたい国のべスト3は、アメリカ、イギリス、日本とのことです。

 

ヤンゴンダウンタウン

 

[宗教]
国民の85%が仏教(南方上座部仏教、大乗仏教)を信仰しているため、大半が敬虔な仏教徒です。
キリスト教徒4.9%、イスラム教4%、その他ヒンドゥー教、アニミズムを信仰しています。   


ミャンマーでは、仏教の教えを守る事を課して生きる方が多いようです。
仏教では、輪廻転生という考えがあり現世で良い行いをする事で来世ではカルマが消え高次元の世界へ行けます。そのために、寄進や喜捨を行い五戒(殺生、盗み、不倫、嘘、飲酒を禁ずるもの厳守する事が必要と考えております。ミャンマーのヤンゴンでは、国内最大の仏塔シェイェタゴンパヤーがそびえています。毎日国内中の仏教徒が訪れ、生活が厳しくとも仏塔に大きな金額や宝石を奉納しています。
ミャンマー人にとって絶対に敬うべきなのは、僧侶・先生・両親と考えています。ミャンマーの若者は給与の1/3を僧院に寄進、1/3両親へ仕送り、そしてその1/3を自分の生活のために使う人が多いようです。

 

ミャンマーの南部上座部仏教では出家と還俗を何度も繰り返しても問題ないそうで、男性の場合は未成年の時に1度、成人となったときにさらに一度は出家するのが、基本的な務めとされているようで、成人前に出家をする得度式は、結婚式よりも人生の中でも最も重要なイベントとみなしているようです。ミャンマーは敬うべきは僧侶。そのため、未成年であっても僧侶となるため人間とは一段上の存在となるため、尊敬しタクシーやバスに乗車する際にも優先しなければならない。現代では、ミャンマーが一番戒律を守っている国と言えるでしょう。

 

仏像  パゴダ

 

[歴史]
ミャンマーは9世紀中頃にビルマ族のバガン王国が始まりです。
その後、19世紀の3度に渡るイギリス領インドに対する武力侵略を発端とする3度に渡る英緬戦争を経て1886年、英領インドに組み込まれる。1942年には太平洋戦争で日本軍が侵攻しミャンマーを占領。
アウン・サン将軍ががビルマ独立義勇軍を率いて日本軍と共に戦い、イギリス軍を駆逐し、1943年には、日本の後押しでバー・モウを元首とするビルマ国が建国されます。

 

その後、1945年には日本の敗戦が濃厚となった時に、アウン・サン将軍が指揮するビルマ国民軍は、1945年に日本、ビルマ国政府に対してクーデターを起こし、今度はイギリス側に寝返った。しかし、日本軍には勝利したもののイギリスは独立を認めず再度ミャンマーを統治下へ配備したものの1948年にイギリスとの独立交渉により「ビルマ連邦」として独立を果たします。
建国の父と呼ばれるアウン・サン将軍は独立直前に暗殺されましたが、独立の立役者として今も国民より敬われています。

 

連邦国家として独立し、ミャンマーとして始まったが少数民族の反乱により国内が不安定な状況が続いたたアウン・サン将軍と共に独立運動を戦ったネ・ウィン将軍が1962年に軍事クーデターを起こしネ・ウィン将軍を議長とする軍事国家、社会主義国家として統治される事となった。
しかし、軍事政権下での経済政策はうまくいかず1987年には国連から後発開発途上国と認定される事となりました。
国民の不満も爆発し、社会主義から民主化を求める運動が高まったちょうどその時に建国の父の娘アウン・サン・スー・チーが民主化のリーダとして台頭しました。
1990年にはアウン・サン・スー・チーが率いる国民統一党が総選挙で圧勝するも軍事政権下では一党支配体制を続け、アウン・サン・スー・チーは自宅に軟禁し、政治活動の禁止を強いられた。そのため、アメリカなどの諸外国による経済制裁を開始した。

 

2007年にソー・ウィン首相が死去し、軍出身のテイン・セインが首相に就任すると、2008年新憲法案についての国民投票が実施・可決され民主化が計られるようになる。2011年にセイン首相が大統領に就任し国家の権限が新政権に委譲され軍事政権は終わった。
元来は北朝鮮や中国という一党独裁政権国家と親密な関係であったミャンマーであったが、2011年以降の民主化政策により、欧米との関係が改善した。

 

バガン1  バガン2

 

[民族]
ミャンマー国内には135の民族が存在しています。ビルマ族が69%、シャン族8.5%、カレン族6.2%、インド・パキスタン・バングラディシュ系4.6%で構成されています。
ビルマ族がミャンマーの全体の3分の2を占めています。その人口はおおよそ3,000万人いるそうです。
ミャンマーは7つの管区と7つの州からなっていますが、それぞれの民族は、それぞれの州そして文化を持っていますが、小数民族は「主な民族の名を冠した州」に居住しています。各民族は、独自の言語や文化を現在も見ることができます。

 

また、複数の小数民族が共存するミャンマーでは独立から今現在までに民族での独立を求めるために政府との対立が見られてきました。1989年~2005年には政府と停戦協定を結ぶ民族もあった程。しかし、2012年には60年以上も対立を続けてきたカレン民族同盟などとも和平合意に至りました。そして、2013年5月にはカチン独立機構とも交戦の停止に努めるとする協定も結ばれた。カチン族はビルマ軍の主力を構成していたものの1962年ビルマ連邦憲法の一方的な廃止に伴い、カチン族の軍隊は撤収してカチン独立機構の指揮下にカチン独立軍を組織。その後、豊富な自然資源(翡翠、木材等)が理由でミャンマー軍に制圧され停戦をするものの、反対する民が多く不安定な治安となっていました。

 

度重なる内戦で国内避難民を複数発生させていた小数民族問題が、欧米からの経済制裁の理由の一つでもありました。しかし、経済制裁をするものの石油・天然ガスのパイプライン建設を進めるなどミャンマーを重要な戦略パートナーとしても見ていたようです。ミャンマーの今後が楽しみです。

 

また、内戦が長期化していたため国内には難民が多く存在します。ミャンマー国境に近いタイ国内には9つの難民キャンプがあり十数万人もの人々が収容されています。陸路の場合バングラデシュへ、海路の場合マレーシア、インドネシア、タイなどへ、空路ではサウジアラビアやUAEなどのイスラム国家へ避難しているようです。キャンプでは、自国に戻った時にスムーズに生活に戻れるように支援しています。難民キャンプのあるタイ政府は自国社会への統合政策には消極的のようです。2005年から最大の受入国であるアメリカやヨーロッパ諸国への第三国定住が始まりました。ミャンマーへの帰還・タイへの定住が叶わないミャンマー民にとって第三国定住は解決策の一つです。ミャンマーは民主化の一歩をたどっていますが、完全な民主化までまだまだ時間はかかるようです。

 

民族

 

 

カレン族の踊り

 


[日本との関係]
ミャンマーと日本との関係は太平洋戦争の頃から。
1941年、太平洋戦争開戦と共に東南アジアへの侵攻の際、ミャンマーへの侵攻も行い1942年にはイギリスの領土のミャンマーの旧首都ラングーン(現ヤンゴン)を制圧した。後に「建国の父」と呼ばれるアウン・サン将軍らのイギリスからの独立運動に対して、日本は軍事的支援も行っていました。しかし、ミャンマー制圧後にはミャンマーの独立を認めるのではなく日本の支配を強めようとしたため、アウン・サン将軍らは強く反発しました。日本の敗戦が近いと感じる頃には、イギリス側について日本に対して抵抗していました。


その後、1948年イギリスから独立しビルマ連邦として独立の歩みを遂げました。1954年に東南アジアの国々よりはじめにまず日本はビルマ平和条約を締結し、10年間で2億米ドルの戦後賠償と5000万米ドルの投資を約束しました。しかし、ミャンマー国内の軍事政権に対する民主化運動への激しい弾圧を背景に日本は2003年ODA(政府開発援助)を一時停止。2011年に誕生した民主化を容認するテインセイン大統領が就任したと同時に日本に開発をゆだねたいという意思をテイン・セイン大統領が示しており、2012年2月、日本政府はヤンゴン郊外のティラワ港経済特別区の上下水道、道路、光ファイバーケーブル、次世代電力網といった最先端のインフラ整備を請け負った。
日本企業の進出を後押しするために行った整備であるとも言えるのだが、今後のミャンマーの経済発展が期待される。

 

しかし、欧米の経済制裁で孤立したミャンマーを支えたのは中国。イギリスの占領下時代を痛感しているミャンマーは従属はせず、日本という戦中戦後の支援を行ったものの、アメリカに遠慮して関係を深めてはこなかった。
今迄はアメリカに遠慮した日本が行っていたなかった、ミャンマーへの企業進出も進んでいる。
日本では東京の高田馬場に日本国内最大の在日ビルマ人コミュニティが存在し、ビルマ料理店やビルマ語教室などが集中している。在日ビルマ人は約8千人とで言葉の壁などで、難民キャンプの方の移住は少ない。


2015年に大統領選が行われるが、その時に「国民民主連盟」が当選するかは不透明で小数民族との国内紛争問題が全て片付いている訳ではない。民主化が進んでいるとは言え、宗教対立や政治的な対立は日本企業のミャンマー進出に対する懸念の1つではある。
しかし、ミャンマーは親日家の多い国。中国との関係も冷めて来ていると言われている今、ミャンマーへの投資は高まりつつあり日本の大手商社や製造業、そしてANAがミャンマーとの定期運航を再開するなど今後の交流は盛んになる兆しは見えている。
2013年5月に日本政府は5,000億円の債務解消を約束し、ミャンマーの訪問には、およそ40社の日本企業の幹部も同行し国を挙げてミャンマー進出を進めて行くことになりそうです。今後が楽しみですね。